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左からクフ王のピラミッド、カフラ−王のピラミッド、メンカウラ−王のピラミッド。クフ王のピラミッドが最も大きいが、土地の高低差によって低く見えている。これらのピラミッドはエジプト古王国時代(第4王朝、紀元前2613〜2494年頃)のものであり、規模・技術ともに最高の水準に達しているものである。 あくまでも個人的な感想ですが、実際に訪れてみて、これほど拍子抜けしたことはいままでありませんでした。ローマのコロッセオをはじめて見たときに感じた感覚と似ているのですが、あぁ普通にそこにあるんだな、といった感じで、期待したほどというかその半分すらも衝撃がないのです。その理由を考えてみると、後で述べますが表面の化粧の有無、これはやはり廃虚なのだということがひとつあり、また、だだっ広い所にただ建っているために、実際よりも小さく見えてしまうということもあるでしょう。実際、化粧石の話だけでなく、ピラミッドはかろうじて残った廃虚の一部に過ぎないものなのです。往時にはピラミッドだけが砂漠の真ん中にあったのではなく、付属する神殿や施設があったわけなので、当然、そこ(ピラミッド本体)に至るまでの連続的な空間体験があったはずなのです。神殿は河岸(最も低いところ)に造られ、そこから長い参道が続いて、高台のピラミッドに至っていたはずなのです。現在のピラミッドは、全体の一部でしかないのだということを忘れることはできません。 それにしても面白いことは、実際に目の前にしているときよりも、そこから離れた今の方が、実際に目にする以前同様に、ピラミッドを興味深く思えることでした。 |
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メンカウラ−王(カフラー王の息子、在位年代:前2532−2503年)のピラミッド。高さ65.5m(現在は62m)、底辺105m、勾配51.2度。往時は下三分の一を花崗岩で、上三分のニが石灰岩で覆われていた。現在は北側下部に花崗岩の仕上が残されているのみである。正面の穴は、盗掘者によるもの。このピラミッドからはカフラー王の柩が見つかっているが、1838年、イギリスへ向う途中で船が沈没、棺は今もビスケー湾に沈んでいるそうです。 | ||||||||||||||||||||||||||
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カフラー王(クフ王の息子、在位年代:前2558−2532年)のピラミッド。高さ143m(現在は136m)、底辺215m、勾配53.1度。往時は石灰岩で覆われていた。石灰岩は現在、頂部に残るのみだが、この残り方は悪くない形態になっている。 | ||||||||||||||||||||||||||
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残された部分から想像するほかはないのだが、石灰岩による化粧がされているのとされていないのとでは、その印象は大きく異なっていただろうと思われます。現在のピラミッドは、塗装がハゲきったスーパーカーだとか皮を剥がされた美女のようなものでしょう。表面が持つ意味は根本的な印象を左右するものであり、これほどに単純な形態であればこそ尚更に重要であったはずなのです。これが更に純粋に研ぎすまされ、強い日差しの下で輝いていたならば…、気絶するほどの感動を撒き散らしてもおかしくはないのです。 | ||||||||||||||||||||||||||
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クフ王(クフ王の息子、在位年代:前2589−2566年)のピラミッド。高さ146m(現在は138m)、底辺230m、勾配51.5度。長さと高さの比率は黄金比。 | ||||||||||||||||||||||||||
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このピラミッドの内部空間に関しては、色々と調査が進められ、その意味についても諸説あります。クフ王のピラミッドの気狂いじみた大きさが、単なる墓であるという説を受け入れ難いものにさせてるのでしょう。柩らしきものがあろうと、ピラミッドというピラミッドが死者の街とされる西岸にあって周り中墓だらけであろうとも、容易に断定はできません。実際に中に入ってみると、その外形の大きさに比してこれほど内部空間の乏しい建物があるであろうかと思われますが、それでも某かの意味があるのだろうと思わせるだけのものはありました。 | ||||||||||||||||||||||||||
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